2024年3月25日月曜日

県重要有形文化財、舟城神社本殿と八柱神社

最初に訪れたのが、2016年4月28日、二回目が2020年5月2日
これで三度目です
県重要有形文化財に指定されたお祝いに参拝いたしました

一山、登るごときの石の階段の参道です

ここは撮影ポイント、定番です

お見事 !
舟城神社は寛延ニ(1749)、大工の播州多可郡塚口新田村の飛田平蔵が建築
棟札が保存されており、建築年だけでなく改造年も明らかと、本殿は北面しており、神社としては珍しいという。創建は文安三(1446)で、現在の本殿は再々建である
…丹波新聞より引用




社務所前に張られた、舟城神社のご案内

この神殿は、寛延二年(1749) 祇園牛頭天王社として奉建されました。 素戔嗚尊と牛頭天王の神仏集合です。 昔神社の鳥居前に牛市場があり、耕作用に各農家で牛を飼っていたので、牛神さんだと牛を連れての参拝で賑わっ ていました。子牛が当たる富くじなどもあったそうです。
本当はもともと疫病退散の祇園信仰で、二〇か村がお金を出し合い建立した神殿でした。
本殿には、牛に乗った須佐の男命の御神像と、牛に乗った薬師如来像があります。やはり牛との縁は切れないよう ですね。
境内の桧一六〇本を売払い樫材木を買い集め、なおも篤心者のご寄付を頂き、人足二、八〇〇余人で山を切り開き、 普請人足一五〇〇人余永えいとして七年の歳月をかけて完成した神殿です。機械のない時代に凄い労力ですね。 昔の人は偉かったですね。
賽銭箱から手前に伸びる向拝部は、その108年後安政四年(1857)に延長して作ったものです。
木鼻やその他を飾る彫刻も見どころの一つです。同じ中井家の彫刻師の作風も一〇八年の時代の流れがみられます。 本殿は神の宿る完成した彫眼聖獣で枠にピッタリおさまっているのに対し、向拝の彫刻は今にも飛びかかるかの力 をためた手足の筋肉、ガラスの光る目で人を威喝する形相で、枠から飛び出そうとする姿、その差も面白いと思い ます。本殿が真北を向いているのもめずらしい神社です。
来年令和三年は図らずも丑年にあたり、残念にも疫神の怒りか北の方角は金神病符でよくありません。御祭神に日 頃の健康を感謝してコロナ感染症厄疫消除をお願いしてください。
本殿の右手に見える大きな屋根は江戸時代からの天王山覚王寺の事務取処と本堂の建物です。 今は神社の社務所と して使用しています。住宅としては不向きですよ。


向拝

向拝は、安政三(1857)に延長して作られたもの








見事な籠彫り







左側面

背面

この社殿は元々、天台宗、天王山覚王寺であり、その住職(何代目かは、聞きましたが、失念しました)が、本殿造営に尽力されましたが、病に倒れ、道半ば…にと!


本殿向拝が、年代からみれば、七代目正次かも、そして、八柱社は八代目正胤と思えるが、いかに…

木鼻(阿の獏・吽の獅子)


木鼻(阿の獅子・吽の獏)

普通なら、阿吽は、左右で統一されたいるようだが、中井一統は、木鼻は、阿の獏・吽の獅子、阿の獅子・吽の獏の組み合わせと教わったので、早速確認できました
教わった件は、後日の記事で…







くまなく探しても銘は見つかりませんが、八代目 正胤と推定します


庫裡には、「柏原青龍軒」の銘の入った欄間の鶴がある…(装飾彫刻探訪記より)
社務所・庫裡には、中井青龍拳の銘がある品があります(装飾彫刻探訪記掲載)

文化財に指定された棟札には残されいる記述には本殿の創設、再建の年号がある
私なりにまとめてみました

社務所に掲示された舟城神社のご案内と、棟札から記述(舟城神社由緒による)、四つの年号がわかる

・創建は文安三年(1446年)
・萬治元年(1658年)初代教明和尚により古社再建
・この神殿は、寛延二年(1749) 祇園牛頭天王社として奉建
・向拝部は、その108年後の安政四(1857)に延長して作った


この神殿は、寛延二年(1749) 祇園牛頭天王社として奉建の記述からみて、本殿彫刻は、先人の記述にもありますが、柏原、中井言次君音定忠 (享保7年(1722)~-天明7年(1787没))の手になるのではと思われます

その108年後の安政四(1857)に向拝が増設された年号からみると、その時代に該当するのは、七代目権次橘正次(文政五(1822)~明治16(1883))ではないか?

そして、庫裡の欄間の鶴には、柏原青龍軒の刻銘があるが、これは、五代目・丈五郎橘正忠(1750年~1818年)屋号に「青竜軒」を用い、以後代々引き継がれているため五代目以降です


なんだかんだ一人推察をし、想像して楽しんでいますが、いかに!!


いや~ 実に楽しいですね











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