2020年3月29日日曜日

天神社・・・兵庫県多可郡多可町中区徳畑471-1

兵庫県多可郡多可町中区徳畑471-1、天神社(徳畑天神社)を訪ねました

多可町八千代区の貴船神社へ向かうべく、県道295線を選択 
多可町は、よく走るのですが、県道295線、翠明湖を通るのは初めてです
その翠明湖の付近に案内板があり、天神社へ0.8kmとか表示されています
そうなんです、天神社は知りません
翠明湖を散策するつもりでしたが、ここは、素通りはできません
まずは、天神社へ・・・



翠明湖は、兵庫県多可郡多可町中区糀屋にある糀屋ダムが仕出原川をせき止めてできたダム湖。
1991年に出来上がったもので面積87.3ha、貯水量は1,350万tあり、北播磨最大級の貯水池となっている・・・Wikipediaより引用

社頭

    立派な扁額ですね・・・
    ・・・獅子噛と鳳凰、木鼻までありますね


歴史街道 天神社

天神社は、久安年中(1145~)当時この辺りの領主であった源三位頼政が尊崇して、奥中熊野権現社十二座の内、天神三座を南方の大姫山に遷し、菅原道真公をお祀りしていましたが、文永四年(1267)二月火災で社殿が炎上してしまいました。
その時農夫久兵衛という人が、ご神体を火災から護り、同じ奥中の河原谷、東田の地に移し、その後、霊夢によって新宮別当供奉して、現在の徳畑・長尾谷に遷座しました。
現在は天神郷四ヵ村の氏神となっています。
例年「天神祭」として、盛大に祭礼が行われ、当日は神輿が出て、氏子の屋台が打ち揃っての奉納は豪壮です

参道


境内

主祭神:高皇産靈神 
配祀神:天御中主命 神皇産靈神 菅原道真


拝殿内

天神社沿革
現在の社殿は、明和二(1765)火災にて、再建とある

お化粧直しされたのか・・・ややビックリ!



       左脇障子 木鼻、尾垂木からの竜頭

       右脇障子


手挟み、木鼻、尾垂木からの竜頭

       境内社  素戔嗚尊

       境内社  大己貴命

       広いです


手水鉢  享和二(1802)と読める そして、梅鉢紋も・・・


       元文三(1738)と読める


社務所?

通行する県道295号線も初めて、翠明湖も初めて、まして、天神社、知りませんでした
お祭りが、それは豪壮なものと、あります

社殿の彫刻も見事なもので、銘は見つかりませんでした
そして、資料がみつからない・・・引き続き、調べてみましょう





2020年3月25日水曜日

春日神社、兵庫県加東市上滝野915

中井権次一統の足跡を巡っています
中井権次一統作品集 播磨・摂津 No5 兵庫県加東市上滝野915、春日神社です


社頭

由緒

御祭神は、経津主命、武甕槌命、天児屋根命、比咩大神
創建の由緒は、山十三代推古天皇即位二年(594年)法道仙人が当地で修行のとき、五峰山光明寺を開き、また、麓に光明寺の守護神として神社を造営するよう神託を受け、創立されたのが当社と伝えられています。
延宝三年に本殿、享保十二年に幣殿、拝殿が再建され、明治七年二月郷社に列せられています。
大正二年に下滝野の金刀比羅神社、稲荷神社、新宮神宮、角ノ神社を当社に合祀した


車両安全祈願の皆様がおられ、宮司さんがお祓いをされておりました故、撮影は不可・・・

ということで、ズームで龍をパチリできました

さらに奥の梁上を・・・

見事な彫刻は、八代目青竜軒中井権次橘正胤です

手水鉢
・・・右側の手水鉢には、西龍野 氏子 弘化五年(1848)と、読めそうなんですが?


       鳥居前、石燈籠 明和五年(1768年)


       鳥居には、元禄十年(1697)とあります

先客がおられ、神聖な祈願中でしたので、非常識な写真撮影はできません
と、いうことで、出直しですね








2020年3月24日火曜日

住吉神社、兵庫県加東市河高2480

中井権次一統の足跡を巡っています 
中井権次一統作品集 播磨・摂津 No7 兵庫県加東市河高2480、住吉神社です


県指定文化財 石造燈籠

住吉神社の明神鳥居は、凝灰岩製で、高さ2.76mをはかる。
柱の木割りは太く、背がずんぐりと低いところに特徴が見られ、貫の制は古調をおびている。
注目すべきは、笠木の端が垂直に切られているのと、島木の端が肘木様の曲線をしめしているところで、この鳥居は県下に例を見ない。
沓石と扁額が後補でやや外観を損じているのが惜しまれる。建立年代は明らかではないが、様式手法上、室町時代のものと思われる


拝殿


龍の背面に、刻銘があります
「丹波柏原町 彫刻師 八代目 中井権次正胤」



主祭神:表筒男之命
由緒:
享禄四年(1531)創立……加古川の流れに沿い河高の里に鎮座
享禄四年、住吉大明神と称す。 本殿再建
享保八年(1723)……本殿再建
明治七年(1874)2月、村社に列せられる


本殿は、金網が張り巡らされ、撮影にはなかなか大敵です

右脇障子もごらんのとうりで、難しいです

妻飾り

木鼻…
…眼、これ、補修? 保護のため? それとも経年劣化?

左、妻飾り

木鼻

手水鉢

舞殿

北側から……
両脇の石燈籠、明和八(1771)と刻まれている

2015年5月に訪れてからの再訪となりました
無理でしょうが、全容を撮影したいものです








2020年3月22日日曜日

木梨神社、兵庫県加東市藤田473 

中井権次一統の足跡を巡っています 
中井権次一統作品集 播磨・摂津 No6 兵庫県加東市藤田473、木梨神社です

右脇障子一部

木梨神社・・・度々走る県道17号線沿いです 
いつも横目で鳥居を見ながら、素通りです・・・今回、6年ぶりに参拝します


畑の中の参道、新しくなった鳥居の白色が目立ちます

案内板

十代崇神天皇の時、物部八十手がこの地に、八十枉津日神を祀りのち、将軍彦坐命が丹波の賊を征伐した時、当地において神託があり神社を創建されたといわれている。
また、木梨軽太子が神前に幣帛を捧げられた因縁から、社号を木梨神社と呼ぶようになったといわれている。
六十代醍醐天皇(平安時代)の時、将軍多田満仲公がこの里に大池(多田池)を築造され、同時に満仲公によって再建された由緒ある神社で、延喜式神名帳に記載された式内社であり、天皇の勅使参向の官社であった。
のち、この大池に大蛇が住むようになり、藤田三郎太夫行安が当社に祈願して、これを退治した伝説は有名である。 その後、藤田明神とも聖九社明神とも呼ばれたことがあり、明治6年(1873)11月郷社格に加列され、大正8年(1916)2月神饌幣帛料供進神社に指定される・・・案内板より引用


中国道下のトンネル?を潜って、社頭へ



割拝殿


延喜式内二十二年(922年)創建 本殿祭神 八十枉津日神

配祀神:大直日神、神直日神、底津少童神、中津少童神、表津少童神、底筒之男神、中筒之男神、表筒之男神

社殿は、完璧?に護られて、拝見できません


       左脇障子



左脇障子の背面に刻銘があります

當社彫物師
  丹波柏原住 久須善兵衛政清   中井丈五郎正忠



       右脇障子


左、妻飾り

右、妻飾り

木鼻

ニョキッと出ている? 木鼻

境内社

上、境内社の彫刻、かわいらしい表現です








       拝殿前の常夜燈 元文三(1738)と、読めるのだが?



手水鉢

舞殿


延喜式内二十二年(922年)創建で、「古社ですよっ」という、雰囲気が伝わってきます