2019年12月21日土曜日

伊尼神社、兵庫県丹波市氷上町新郷1860

中井権次一統の足跡を巡っています 
中井権次一統作品集No15 兵庫県丹波市氷上町新郷、伊尼神社です
タイトルは、中井権次一統の足跡?・・・伊尼神社です



       参道

巨木と社殿

拝殿

主祭神: 瓊々杵尊  
配祀神: 穀霊大市姫命                     
由 緒: 人皇第二十九代欽明天皇御宇の創祀と伝えれる、丹波平原開拓に當り、国土経営の守護神として天孫彦火瓊瓊杵尊(紀)を祀り、穀霊大市比売命を配祀、伊知宮と稱へ奉る延喜の制、国幣社に列せられ、祈年、月次、新嘗の祭儀には国幣に預り、国家事ある時臨時使を差遣はされて奉告あり
領主並に武将の尊崇厚く、明應三年(1494年)赤井城主赤井伊賀守忠家公、本社を造営・・・神社庁資料より


向拝


龍の背面の刻銘

氷上郡成松北野 萩野善五郎 暮段一寄進
紀元二千六百一年一月(1941年1月)
姫路市外西青山 井上好郎之作


本殿

春日造銅板葺


境内社・・・

舞殿

手水鉢

安永八年(1779)と刻まれてる

       鐘楼

今回の拝観で判明したのですが・・・
拝殿、龍の背面の刻銘が、姫路市外西青山 井上好郎之作とある

丹波新聞コラム、中井権次一統の資料では・・・
・・・拝殿は太平洋戦争の始まる前の昭和16年10月に改築された。
先代の宮司によれば、この彫り物は、五代目中井正忠の相方、久須善兵衛政精の19世紀初頭の作品らしいとある

先代の宮司のお話と、刻銘が一致しない不思議なお話です
おそらく、久須善兵衛政精の作ではないでしょうね・・・私感、残念です!
果たして、真実は、どうなんでしょうか?


2019年12月18日水曜日

満福寺、奥の院観音堂、兵庫県養父市十二所

中井権次一統の足跡を巡っています 
中井権次一統作品集No48 兵庫県養父市十二所、満福寺、奥の院観音堂です 



満福寺観音堂 大悲閣

新宮山の標高215メートルの位置ある満福寺観音堂・・・
現在の満福寺から350メートルほど山を登った場所です
ここは室町時代に、但馬地方の日下部一族という武士たちの信仰を集めて、満福寺が栄えた場所です

満福寺の観音堂は文政八年(1825)に建てられています
正面、三間(長さ12.3メートル)

側面、四間(12.3メートル)


向拝・・・大迫力です

兎の毛通しは鳳凰、屋根を支える桁材の上には、獅噛、その下には、龍の彫刻があります
龍の下にある虹梁には、池の水を表す波を彫刻し、龍の上にある桁には雲を彫っています
つまりこの彫刻は、池から昇った龍が天空に舞う姿を表現しています・・・

兎の毛通し 獅噛

大きく口をあけて玉を握る龍・・・躍動感があります

龍の背面 向拝内から撮影です

刻銘が・・・「彫物師 丹州柏原町住人 青龍軒中井権次正貞」


木鼻・・・唐獅子、漠

木鼻・・・唐獅子、漠

持送り


手挟み





養父市文化財では、中井権次正貞を下記のように紹介しています

中井権次正貞は中井家の当主の中でも特に優れた彫刻師で、丹波柏原藩のお抱え彫刻師です
龍の彫刻を得意としたことから青龍軒とも名乗りました
満福寺の観音堂は文政八年(1825)に建てられています。
この2年後、文政十年(1827)には進美寺観音堂が作られました
養父市には中井権次正貞が手がけた、「大杉の二宮神社本殿」、「関宮の関神社本殿」、「日高町の進美寺観音堂」などがあります
江戸時代後期、但馬から丹波地方の社寺建築を飾る優れた彫刻師として、中井権次正貞は活躍しました。
中井権次正貞の円熟した彫刻は、大変見事です・・・養父市文化財から一部引用


進美寺観音堂は、残念ながら山中・・・未だ、訪れていません
なんとか、来年の初夏の頃でも行きたいと思っています

現在の満福寺本堂、そして観音堂・・・
向拝の大迫力の彫刻は、何度、訪れて拝見するも、その迫力にいつも驚かされます









2019年12月17日火曜日

満福寺、兵庫県養父市十二所724

中井権次一統の足跡を巡っています 
中井権次一統作品集No48 兵庫県養父市十二所724、満福寺です


三度目です・・・秋の時期は初めてです


仁王門

苔むした石段、参道を登ります

本堂です

満福寺縁起
新宮山満福寺は、聖武天皇の天平年間(729~749年)に、行基菩薩によって開基された。
本尊は行基自ら刻んだと伝えられる等身大の秘仏、千手観世音菩薩である。
創建時一人の翁、即ち、新宮権現が現れ、山の守護神となる。
この山を新宮山とよぶようになり、熊野信仰の霊場にもなった。
盛時は七堂伽藍十九坊があった。
弘仁年間(810~824年)、弘法大師来錫を契機に、真言密教の道場となり、安産の秘符を留め置かれた。天正年間(1573~1592年)、豊臣秀吉の山陰攻めの際、伽藍はほとんど、焼失した。
天平以来幾多の興亡を繰り返すも、但馬高野として法灯連綿として、今日に至っている


向拝です、圧巻です

兎の毛通し・・・大きな鳳凰です

梁上の天女・・・おなじ彫刻を見たように思えるのだが? どこだったけ?
下、紅梁には、波 上紅梁は、雲?

木鼻
・・・唐獅子と像

木鼻

持送り


持送り


鐘楼

不動明王

参道の上から、仁王門を・・・
・・・エエ感じです・・・

次は、新宮山満福寺 奥の院、観音堂へ参ります



2019年12月10日火曜日

妙見山日光院、兵庫県養父市八鹿町石原450

中井権次一統の足跡を巡っています 
中井権次一統作品集No50  兵庫県養父市八鹿町石原450、妙見山日光院です

境内の樹齢600年の大イチョウが演じる、黄金の絨毯、実に美しい!
この時期は、黄金の絨毯と、中井権次一統の足跡の二つが拝見できるのが楽しみです




拝殿の背後、本殿の刻まれた、中井権次一統の足跡を拝見します


向拝


龍のひげが長いね・・・

木鼻、持送り・・・
・・・猿が実を掴もうとしていますね
木鼻、持送り・・・
・・・こちらは、猿が実を食べていますね

龍の背面に、刻銘が・・・
「彫物師 丹波柏原町住人 中井権次橘正貞」・・・六代目です

右脇障子

左脇障子


       手挟み




蟇股

かわいい眼に仕上げていますね

サザンカ・・・?

右側から全景を・・・

黄金の絨毯と、中井権次一統の足跡は、これで二度目となります
おそらく、来年もこの時期、黄金の絨毯と、中井権次一統の足跡を拝見しに伺うことでしょう!
そして、写真は、構図などほぼほぼ、変わらないと思いますが・・・(-_-)