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2021年11月18日木曜日

長安寺・・ 京都府福知山市奥野部577

京都府福知山市奥野部577、長安寺へ紅葉見物で、嫁を連れてやってきました
私は、紅葉見物より、中井権次一統の足跡なんですがね・・・
長安寺、薬師堂の中井丈五郎正忠の天井の龍をみせてあげたくて・・・


薬師堂 仏堂又は瑠璃殿といわれる唐様様式建造物 文化九年(1812)建立

薬師堂 正面・左右の蟇股の彫刻は、なんどみても飽きないです

四度目の撮影の中で、最高のショット、一枚となりました

五代目、中井丈五郎正忠

迦陵頻伽









外へ出て、木鼻を・・・

薬師堂、左面

本来なら1時間ぐらいかけて、撮影するのですが、嫁同伴のため、僅かな時間
でも、なんとかポイントは撮影できました
そして、4度目の撮影で、一番出来のよい、天井の龍が撮影できました
嫁も「凄い!」と喜んでくれました
それだけでも、長安寺まで、来た甲斐がありましたね・・

また、ゆっくり撮影にきましょう













2021年6月12日土曜日

京都府福知山市報恩寺林、賀茂神社本殿彫刻 中井権次一統の足跡と判明しました 

京都府福知山市報恩寺林、賀茂神社、本殿彫刻が中井権次一統の足跡と判明しました 
ここに、登録し、掲載いたします

2018年9月30日
ケシの赤い花が咲く、暑い日でした
相野一門の彫刻を拝見すべく参拝いたしました
https://a-shi-a-to.blogspot.com/2018/09/blog-post_30.html
庇の長い拝殿の龍の背面に「福知山京町住人 御彫物師 相野安右ヱ門儀一」の刻銘があります

昨日、本殿彫刻の彫物細工萬覚帳が中井家に残されているとお知らせいただきました
お知らせいただいた彫物細工萬覚帳の一部ですが・・・(彫物細工萬覚帳写真は非公開)

花倉 大工 万右衛門様
 本うじ村 御宮

文化十二 亥春より
・御拝 □水二龍 かしらあし 十五工
 同ふところ 竹二とら 七工


改めてみると、まぎれもない、中井権次一統の足跡です

銘が見つからないようで、彫物細工萬覚帳の記述の、文化十二(1815)から、判断すると・・・
五代目中井丈五郎正忠か、六代目中井権次正貞と推測されます

因みに・・・
五代目中井丈五郎正忠は、1750~1818
六代目中井権次正貞 1780~1855

結論?
賀茂神社、本殿彫刻は、年齢からみて、六代目中井権次正貞ということで・・・
いや、五代目中井丈五郎正忠か?
それとも、親子協業か?

ここは、五代目中井丈五郎正忠のラベル付け登録いたそうと思います
そして、中井権次一統の世界のマップにも登録いたしました


最後に、情報提供いただいた、「マサさん」ありがとうございました


















2020年6月17日水曜日

大原神社・・・京都府福知山市三和町大原191-1

中井権次一統の足跡を巡っています
国道173号線を走れば、大原神社前を通りますゆえ、素通りはできません
京都府福知山市三和町大原191-1、大原神社を訪ねます


旧三和町のマンフォ-ル
・・・ホタルと網を持って追いかける子どもたち、川には魚が・・・


       社頭

石段を登りきれば、広い境内です


天一位 大原神社

由緒
祭神:伊弉冉尊 天照大神 月弓尊 社伝によると、第五十五代文徳天皇の御世、仁寿二年三月十三日(852年)北桑田郡野々村樫原(現南丹町)の地より遷座、国司大原雅楽頭社殿を造営同年九月二十八日遷座される。
元亀天正(1573年)の頃、明智智日向守領主となる際、戦場に遭遇、社殿消失するも明暦年間(1655~58年)に旧態に服す。現在の社殿は九鬼氏領主として綾部に封せられてより累代の庇護により寛政八年(1796年)再建される。
安政二年(1855年)千年祭り、平成15年千百五十年祭を斎行する。
唐破風の龍の丸彫は天保三年(1831年)の中井権次正貞の作であり、拝殿頭貫の絵模様彫刻、兎毛通の鳳凰、持送りの菊の籠彫は、天保八年正貞の父、久須善兵衛政精中井丈五郎正忠の作である。

茅葺の絵馬殿は文久三年(1863年)の再建で舞台では浄瑠璃、農村歌舞伎等が演じられた。昭和五十九年に本殿等、京都府指定有形文化財の指定となる・・・由緒より一部引用

うん? 
「持送りの菊の籠彫は、天保八年正貞の父、久須善兵衛政精中井丈五郎正忠の作である」
このくだりは、記述がおかしいですね
正貞の父は、中井丈五郎正忠であり、協業者の久須善兵衛政精なので・・・
そして、「天保八年正貞の父」・・・この年号は寛政八年、天保と寛政の記述間違えです

「寛政八年(1796)正貞の父、中井丈五郎正忠と、久須善兵衛政精の合作」と、記するべきでしょうね!


この唐破風の彫刻は少し距離をおいて眺めるべきか? 悩みます・・・贅沢です

迫力満点、龍の丸彫
中備の唐獅子も見事です




拝殿

木鼻

木鼻

蟇股・・・阿吽の龍


持送り・・・菊のかご彫



拝殿、右面

本殿

       摂社 火神神社へ
       ・・・青紅葉がキレイです・・・


京都府指定文化財 摂社火神神社本殿(江戸時代)



京都府指定有形文化財 絵馬殿
文久三年(1863年)の再建で舞台では浄瑠璃、農村歌舞伎等が演じられた


手水舎
・・・コロナの関係で、柄杓はおいてありません・・・

手水鉢
左側面に「天保十二(1841)」と、刻まれている

神橋を渡り、一礼して、帰ります
おそらく、また、丸彫りの龍をみにくるでしょう・・・

この大原神社、一人では、二回目、嫁連れて、一度 参拝しました
安産祈願する年齢ではありません(笑)
国道173号線を通過する際は、素通りはできませんので、参拝回数は増えることでしょう






2018年9月29日土曜日

生野神社、京都府福知山市三俣

中井権次一統の足跡を巡ります

京都府福知山市三俣、生野神社(御幣神社)です
2016年3月24日に訪れました
https://a-shi-a-to.blogspot.com/2016/03/blog-post_24.html

3月は福知山市指定天然記念物 生野神社のケヤキも枝のみ・・・
2018年9月、樹勢ますます勢いよいらしく、葉が茂っていますね・・・
・・・車内よりパチリです(写真下、中央付近)・・・


社頭



延喜式・式内社 生野神社記 (御幣神社 みてぐらはん)

・・・延喜式 式内社とは・・・
延長五年(927年)藤原忠平によって調査され、延喜式目に選上登録された中央政府にも相当名の知られた神社のことで、当市内に四座ある
・・・祭神・・・
天鈿女命で平和な舞踏や音楽を愛好されると共に、九州から伊勢まで男神を無事送り届けられたという勇ましい女神様でもある

徳川時代の参勤交代には、当地方の領主綾部藩の九鬼氏をはじめ、福知山、舞鶴、宮津、峰山、豊岡、和田山等の大名が行列美々しく此の道を通る時は、必ず参拝して長途旅行の安全を祈願し、神前の榊の枝葉を戴いて御守とし、帰途これを返納したので以来、旅行、出張、転勤、外遊等の生活と道中安全の神様として有名である

・・・社殿・・・
慶長年間(1600)関ヶ原の戦の頃、社殿の改築があり、更に元禄年間(1700)忠臣蔵討入の頃、神祇管領より正一位を授けられているが社殿は後の山上にあった
明治六年(1873年)生野神社と改称、昭和四年(1929年)拝殿新築、昭和八年(1933年)社務所を建てた

・・・御幣神社・・・
鎌倉時代(1200年)から江戸末期(1800年)までは、みてぐらはんと称えていた
これは、綾部藩主九鬼氏が生野に倉庫を建て上納米を取立てていたが、毎年当神社へ御供米を奉献していたので、御幣(みてぐら)と呼ぶようになったという

・・・神社記より、一部引用


境内


拝殿

拝殿は、折上格天井

鈴が工事のため、取り外されています
・・・向拝柱の幅で、置かれている、奉納石(名称?)に・・・江戸時代後期、文化十四年(1817)と刻まれている

兎の毛通し

向拝
・・・梁間の獅子の彫刻・・・何処で見たかなぁ? 同じ造形・・・思い出せない!・・・

鈴の奥の彫刻・・・前回は撮影できませんでした
・・・阿吽の亀?です・・・

木鼻

拝殿は向拝庇が長くのびた入母屋造

その左右の蟇股には・・・阿吽の虎!


彫物師 当国柏原町住人 中井清次良正用

本殿

手挟み+木鼻

左脇障子 
・・・福知山市の全神社とは云えませんが、脇障子が後方へ45度開いて造形が多いですね・・

右脇障子

社殿右の境内社 皇太神宮、神明社、八幡社

社殿左の境内社・・・猿田彦社

社殿左の境内社・・・稲荷社・武大神
・・・狐が新しくなっています・・・真っ白です

狛犬と石燈籠


福知山市指定天然記念物 生野神社のケヤキ 福知山市の名木(41)


     ・・・胸高幹周/5.83m、根元幹周/7.13m、樹高/19m、樹齢/約600年

2年半ぶりに生野神社へやってきました
この生野神社も彫刻の素晴らしさと、何度も訪れたくなる雰囲気のある神社です